2025.01.10
ブログ 一般NO.47 「生かされている」ではなく「生きる」2/2
➡つづき
「感謝」の前では、お金の概念を捨てましょう。
例えば飲食店では「作ってもらって当たり前」「運んでもらって当たり前」だって、こっちは「お金を払っているんだから」という考え。
私は東日本大震災の経験から、お金というものが緊急時には如何に役に立たない代物であるかを身を持って感じることが出来ました。
「だって給料もらっているんでしょ?」は言っている側の自己防衛の言い分に過ぎないと考えます。
まずは働いているという行為自体とお金を貰っているという事象を別々に捉えることが大切だと考えます。
働いていることに感謝し、その感謝の形として報酬を得ていると解釈すればよろしいかと思います。
料理が運ばれてきたら、店員さんに「ありがとう」と言いましょう。
ゴミの回収業者が来ていたら、作業員さんに「ありがとう」と言いましょう。
いろいろな働く人がいて社会が形成されています。そういう意味では「生かされている」と表現したくもなろうかと思いますが、厳密に言えば「支え合っている」という表現が実態をより正確に捉えていると考えます。
一人ひとりが「生きたい」という意志を持ち、でも何でもかんでも自分一人ではできないので、それぞれがそれぞれの役割・仕事を担い「支え合って」いる、それが社会です。
一人ひとりがより自分らしく「生きる」ことができるようになるために形成されているのが社会と言い換えてもよいでしょう。
「生かされている」のではなく「支え合っている」。
そして、その支え合い方は時代の価値観と共に常に動いているのはみなさんご存じの通りです。
また、SNSなどの情報革命により、日々その振れ幅は大きくなっていることにも注意が必要です。
人間の社会は一人ひとりの人間の意志が複雑かつ無限に絡み合って形成されています。
その解(ほど)けようもない社会の絡み合いの中で喜怒哀楽を感じながら、しかし、力強く生きていくのが「修行」なのだと考えます。
説明できない、しきれないことを「法則」や「摂理」といった一括りにして単純に説明しようとすることは思考停止しているかのようにも見えてしまいます。
子供がテストで100点を取ってきたとき「宇宙の摂理で予め決まっていたことであり、おまえの努力とは無関係なのだ」とは、あまりに可哀そうかと思います笑 じょうむ
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