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2025.10.27

ブログ 経営ブログ 社会人の心構え

NO.213 ”自分なりに頑張っている”の功罪 1/4 ~3つの誤解~

業務の遅延や不正確さを指摘したとき、「自分なりに頑張っています」と返されることがあります。

私は、深い落胆を感じざるを得ません。一生懸命にやっていることを主張したい、という気持ちは理解できますが、組織人として根本的かつ重大な誤解が含まれています。

この誤解は早急に払拭してやる必要があります。それでもなお、この部分を主張して譲らない者に対しては、当該組織は一刻も早く切り離した方がよいと考えます。

~「自分なりの頑張り」が抱える3つの誤解~

①なぜ、自分の価値観が最優先となるのか?

業務は“自分基準”ではなく“会社基準”でこそ評価されるものです。

個人でどうあるべきか?ではなく、会社としてどうあるべきなのか?が最優先事項です。自分の価値観を最優先して、顧客に選ばれなかった・・・では給料をもらう資格がありません。
仕事とは、個人の努力を自己評価する場ではなく、組織が求める成果と再現性を求められる場です。

同じ時間で、10できるAさんと、5しかできないBさんが共に「自分なりに頑張った」と主張して、同じように評価されるというのは不公平以外の何物でもありません。共通の物差しは、常に組織側にあります。ゆえに、「自分なりに頑張った」という主観的な評価は、組織にとっては不要であり、はっきり申しまして健全な組織運営の阻害要因とも言えるでしょう。
業務とは、会社が求める品質・納期・精度などに達して初めて“遂行された”と見なされるべきものなのです。

② 「自分なりに頑張った」は、能力の限界を宣言しているのと同じ

「自分なりにやっている」という言葉は、裏を返せば「これ以上はできません」と言っているのと同義です。
「やっていないからできない」のであれば、改善の余地があります。
しかし「やっているのにできない」となると、今後の成長の伸びしろはない、私は頭打ちです、ということを自ら高らかに宣言していることと同じです。

③ “頑張り”は、結果ではなくプロセスの一部にすぎない

努力は大切です。しかし、努力自体は目的ではなく、目的達成のための手段です。
「自分なりに頑張ったからOK」ではなく、むしろそのレベルは必要最小限度のこと。わざわざ主張するに値しません。

その努力が会社の求める結果とどれだけリンクしたのか?が評価の本質です。結果は出なかったけど、努力しました・・・というのは自己満足・自己肯定感の領域であり、組織の評価論とは異なる領域です。

組織には、明らかな上下関係があります。この点については後日、題を新ためて論じたいと思いますが、この組織上の上下関係を、一人の人間の尊厳領域とごっちゃにして語る人をみて、私は大きな疑問を抱かざるを得ません。それがその人の思想の原点であるならば、組織に存在していること自体が大きなリスクではないか?と考えます。

私は「自分なりの頑張り」を否定しているのではありません。それは組織人として当然であるということをベースに置いた、組織論を論じています。

あなたが「自分なりに頑張っています」といって、「そうだよねー」と返してくる上司は、あなたに無関心(あきらめている)か、その上司自身も今後の出世などが見込まれていない方だと推測します。

逆に、経営的な視点から俯瞰できる将来を有望視されている上司は、会社の求めているところに一番敏感なはずで、そこに「自分なりに・・・」などと言うものなら、「甘ったれるな」と即座に言い返されることでしょう。そういう上司についていくと、その組織ではスピード出世できると思います。

「自分なりの頑張り・努力」こそが正義だと信じてやまない方は、そもそも組織に所属するべきではありません。起業して一人社長だとか、フリーランスなどの道の方が大成する確率が高いので、そちらをおススメいたします。 ➡つづく  専務橋本

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