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2025.10.08

ブログ 一般

NO.204 「靖国で会おう」から始まる日本の物語 ~高市総裁と靖国神社~

以前のブログで靖国神社について述べたことがありました。

今回、高市総裁が誕生したことに対する、「やってもいないうちからの批判」めいたことが論じられているので、今一度、靖国神社と絡めながら触れておきたいと思います。

※私は、高市支持者でも自民党支持者でも右派でも左派でもありません。あくまで冷静に自身の考えを述べるのみです。

まず、靖国神社参拝における問題は「存在しない」です。

今日言われている一連の事象は、隣国の外交カード手段や一部の歴史認識の浅はかな感情のみの日本人によって後から捏造されたものに過ぎません。日本を真に愛する国民であるなら、単に感情に流されず、キチンと理性の軸を持つべきであると考えます。

「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議(1953年8月3日)」により、A級・B級・C級を問わず、戦犯として刑を受けた者は法的には「戦犯」ではなくなりました。

これは当時の日本の国会で正式に決定され、その内容は、各国にも通知されました。その際、公式な抗議は一切なく、これにより、国際的にも「戦犯」という地位自体が”消滅”しました。

その後の1978年に、靖国神社が東条英機ら14名の”かつてのA級戦犯”を合祀したことによって、マスコミなどが再び「A級戦犯」といった”当の昔に無くなっている名前”を勝手に掘り起こして使い始めたのが発端となります。

いかに報道の自由、言論の自由と言えども、自国を何の根拠もなく不必要に貶めるマスコミや論調には断固として徹底対抗すべきです。

そして、同じマスコミなどが「グローバリズム」や「価値観の多様性」などを論じている姿に全く説得力などあるはずもなく、その大きな矛盾さゆえに、怒りを通り越して、かわいそうな感覚すら覚えます。

参政党が掲げた「日本人ファースト」がグローバリズムや価値観の多様性に反すると論評しますが、いやいや、そういった考え方をも認めて相互に歩もうとするのが、真のグローバリズム・価値観の多様性ではないのか?と思います。

なぜ、日本人ファーストという言葉を排斥しようとするのか?排斥ではなく共存こそが真の多様性ではないのか?とその意味を問いたいと思います。

靖国神社は、「日本という国を守るために、自分の命を懸けて戦った魂(先祖)が眠る場所」。

今、日本という国があるのは、そうした先人の命と引き換えになっているのです。現代を生きる日本人が畏敬の念を込めて参拝するのは、「義務である」と言っても決して過言ではないはずです。

修学旅行で、ディズニーランドに行って友達との思い出を作るのもいいと思います。でも、その日程の中に靖国神社参拝をなぜ取り入れないのか?

その場で何を感じるかは人それぞれですが、実際に足を運び、空気を吸い、手を合わせることで、教科書では得られない“実感”が生まれるはずです。

これほどの根幹的教育が他にあるのだろうか?と個人的に思うところさえあります。

1時間後には死んでいるかもしれない、そんな命を懸けた者同士(兵士たち)の約束としての合言葉。

「(死んだら)靖国で会おう。」

日本軍の上層から一兵卒に至るまで、自国を守った全ての魂が一堂に会する唯一の場所、靖国神社。

その靖国神社で、「自分たちが守った日本、子孫たちが、幸せに暮らしている姿を何よりの楽しみとして見ていこう」としているのです。その唯一の希望を胸に自らの命を捧げたのです。

時の内閣は全員揃って靖国神社へ行き、「あなた方が命を懸けて守ったこの日本を、今度は私たちが命を懸けて守り継いでいきます。」と誓いを立てるくらいでなければならないと考えます。

そして、その場所で、高市総理には、

「内閣全員、馬車馬のように働いてもらいます」

「私自身もワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てます」
「働いて、働いて、働いて、働いて、働いてまいります」

と個人的に誓うなら、きっと先人の魂も微笑んでくれると信じています。 

リーダーが変われば、世界が変わる。 さあ、新しい日本を始めましょう。  じょうむ

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