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スタッフブログ

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NO.524 意見を聞く

2023-05-26
おはようございます('◇')ゞ

経営をするにあたり、社内のいろいろな人から幅広く意見を聞くことは重要であろうと思います。特に一般社員の方が社長に直接、上司に直接物を言い難い環境であれば、なおさら上の人から聞きにいかなければなりません。
しかし、ここで私が注意していることは、あれこれもっともらしい意見を言うものの、行動が伴っていない人の意見は同列扱いしない、ということです。例えば、「俺は〇〇という仕事は無駄だと思う。だからやっていないんだ」という類の意見です。「自分がやらない理由」をとうとうと述べ、やらないことを正当化する意見。いかにムダであろうが、いかにダメであろうが、それが現状の決まりであるならばやらなくてはなりません。それを排除すべきかどうかは然るべき機関の決定によらなければなりません。個人レベルで勝手に判断し、実行することは会社の指示に背くことなります。それが組織の在り方です。キチンとやっていて異を唱えるならまだしも、やらない自分を正当化して、さも自分は先を行っているかのような態度をとる者というのは、単に自己都合で振舞っているに過ぎず、その時々によってコロコロと意見が変わる、というのが経験則で、そこにいちいち反応していても不毛な労力を費やすことになり、解決することは不可能であるという認識です。スルーせよと言うと酷ですが、もっと違う人の意見に耳を傾けるべきであろうと思います。じょうむ

NO.523 プレイヤーチェンジ

2023-05-25
おはようございます('◇')ゞ

人は変われない、だから物事を変えるにはプレイヤーをチェンジするべきだ。という意見は良く聞きますね。人は変われないのか?という問いに対しての私の答えは「ノー」ですが、変わるまでの時間であったり、変えるまでの周囲の労力はまちまちです。ですから、変えなければならない案件の時間や予算が差し迫っているような事態に対してはプレイヤーチェンジは当然視野に入れなければならないと思います。特に、変えよう、変わろうという考えが本人自身に全くない場合はすぐにチェンジすべきと考えます。先のブログで性善説と性悪説について述べましたが、性悪説の真っただ中にいて、性善説へのチェンジにどれだけの時間と労力がかかるのか、という個人の距離と案件の期日をざっくり比較することで、教育かチェンジかを決めることになると思います。じょうむ

NO.522 会社の得と個人の快適性

2023-05-23
おはようございます('◇')ゞ

 会社、すなわち ビジネスの世界においては損得が重視されなければなりません。 しかし個人の生活においては、それが 快適か不快なのかで捉えないと決して長続きはしません。すなわち、会社の得と個人の快適を結びつける仕掛けが会社には必要ということになります。その仕掛けを持っている会社がいつの世も伸びる会社と言えます。極端なことを言えば、社会のルールに反しても、それが有り余る個々人の快適性を提供するものであれば、その会社は伸びるとも言えそうです。
 はてさて現状は見てみるとどうでしょうか?会社の得に特化すると人が集まらない、残らない。対して、個人の快適性に特化すると組織として体裁をなさなくなる、という状況でしょうか。特に個人の快適性とは千差万別であり、その一つ一つに会社の得を結びつけようとすれば、途方もない労力と時間を強いられます。よほどの少数精鋭でなければ現実的ではありません。ゆえに行うべきことは、会社の得とは何なのか、すなわち会社の方針を明確すぎるぐらい明確に打ち出し、その方針に快適性を感じるという個人が集まってくる、という体制を構築することが現実的だと言えます。しかしそこに合致する人というのはなかなか見つけられないでしょう。ゆえに広く会社の方針を知ってもらうということが重要となります。合致する人が1000人に1人しかいないのであれば、2000人、3000人に知ってもらえば 2人3人と集めることができるということです。やみくもに広告をまき散らしても認知度は上がります。しかし、予算や時間の制約のある中小企業であれば、ピンポイントに行かなければなりません。さて、どこを攻めましょうか?じょうむ

NO.521.自己評価と他者評価

2023-05-22
おはようございます('◇')ゞ

ブログという関係上、断片的に話すことが多いのでよく誤解を抱かせてしまいますm(__)m。例えば、「他人の意見に振り回されるなと言ってみたり、忖度や評価者の評価が重要と言ってみたりして矛盾している」というご指摘です。
これはそれぞれに捉えている面が違います。面には大きく2つがありまして、一つは「自分で変えられる面」もうひとつは「自分ではどうすることもできない面」です。№519で言っている「幸せの基準」というのは、「自分で変えられる面」です。と言いますか自分でしか変えられない面ですね。ゆえにこれは完全に自己評価・自己基準になります。「どう感じるか・捉えるか」によって事態は180°変わります。自分基準が100%です。一方で世界情勢や世の中の流れは一人ではどうすることもできません。そんなに広くとらえなくとも、上司の私への評価も「どうすることもできない面」です。これは、自分がいくらがんばっているからといって自己評価と一致するとは限りません。他者評価が基準となります。ゆえにその評価基準とは何ぞや?と探ることが必要であり、他者評価を自分の満足のいく評価へと導く努力が必要ですと言っているところです。その代表格が「忖度」であると。近頃の例で言いますと、会社が残業の削減を推進しているのに、相変わらず残業を続け「俺は誰よりも頑張っている!」と主張したところで評価は上がらないどころか下がってしまう、などです。自己によるところと、他者によるところ、その判断基準の見極めが重要となります。何事もバランス良くを心掛けて参りましょう。じょうむ

NO.520 教えてもらう側の姿勢

2023-05-19
おはようございます('◇')ゞ

「教えてもらわないと分かるわけないじゃないか」「教えてもらって当然」という姿勢の人がいます。今の若い方に多い傾向があるな、と感じます。私はよく学生さん達には「先生はなぜ教えてくれるのか?」と問います。そして「それは先生という職業であるからだ」と答えます。先生もボランティアではありません。教えることが”仕事”であり、仕事である以上、嫌な生徒には教えないということは許されていません。その仕事のやり方(教育方針など)を説明する責任はあると思いますが、それ以上の親からの要望や苦情などに対応する必要はないと考えています。それを中学、遅くとも高校までには、親子共々理解しておかなければならないと思います。それを知らずに社会に出ると受け身一方の学生時代から脱却できずにそのまま「受け身の人」になってしまいます。私は大学生が勉学において優秀だとは思いません。が、大学生活というのは、これまでの受け身生活からいくぶん解き放たれ、自らの判断を要する立場に少なからず置かれます。このポイントにおいて高校卒と大卒の間には大きな違いがあると考えています。
 残念ながら「教えてもらって当然だ」という人には誰も教えてくれなくなります。「教える」という行為は多大なる労力を要します。はっきりいって「面倒くさい」のです。教えられる立場はこれを理解しなければなりません。特に会社では自分が苦労して獲得したスキルや知識や人脈を、なぜいとも簡単に、しかも無償で教えてやらなければならないのか?というそもそもの疑問を抱かざるを得ない事でしょう。増してそれが大してやる気もない新人や後輩相手ならなおさらです。マンツーマンで仕事を教える体制の会社も多いと思います。新人の成長ぶりを教育者の評価につなげる事例も見受けられますが、まずもって教えてもらう側の姿勢を最重要視し、正すべきことを正すことが重要です。じょうむ

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